京虜
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鬱病ロッカー
「圭」
僕がまだ高校二年生の時だった。
クラプチッタであった大きなイベントで僕は当時まだ中学三年生だった圭を紹介され、それから僕らはまるで同い年の友達のように一緒に遊びようになった。毎日のように音楽を聴いたり、テレビを見て笑ったり、お互いの恋愛の話までしたり。音楽という共通の趣味が中心にあったことは間違いないが、本当に気が合う友達として大好きだったからだ。
そんな圭と一緒にバンドを組むことになるまでにそう時間は必要なかった。
「あるバンドのギターとボ-カルが抜けたから一緒に入ろうよ。俺、プロになりたいんだ」
僕は正直、この時からプロになりたかったと言えば嘘になる。
ただ、どうしても圭と一緒に音楽をやりたかったのだ。
だから即答した。
高校卒業まで後数ヶ月を残すだけにも関わらず学校も辞め、バンドをやると言い出した僕は親から勘当され、家から追い出された。だから僕は圭と一緒にバンドを始めると同時に、私生活も一緒に過ごすことになった。
バンドもそう。寝食もそう。それから何をやるにしても圭と一緒。
皮肉なことに、一時家族から見離された僕だったが、それにより圭という家族ができたようなものだ。
だけど、僕らも年月を重ね、お互いの時間を共有していくうちに友情という言葉だけでは現せない関係になった。
出会った頃の気持ちは忘れていないし、何もかわっていない。ただ、二人とも純粋に憧れていた音楽に触れて、少しずつ音楽業界への理想とギャップに揉まれてしまった。そのことで僕らはお互い、自分の性格と他人に対する気持ちが歪んでしまったのだと思う。
別に被害者面をする訳ではない。
僕らがこういう話をしていた頃がbaroque中期。ちょうと僕が睡眠薬や安定剤に手を出し始めた頃だった。
出会った頃はお互い明るくて、誰とでも仲良くなれる性格だったと思う。だけど僕は、この頃にはまず他人に対しては「拒絶」の姿勢を取るようになってしまっていた。
辛ければ薬を飲む。それでも効かなければアルコ-ルと一緒流し込む。
それでも心が安まらない時は女にすかった。周りを傷付け、全てを壊した。
それは当時のファンには見せなかった僕の中の醜い部分。そして何にも縛られない、メンバー以外は誰も信じない、他人なんて大嫌いだという感情が、表に出していた部分。当然事務所からも業界からも厄介者扱いされていたように思う。
何をしても許してくれた、そしてしんじてくれたメンバーがいたからこそ、心が汚れていく自分の姿から目を逸ららすことができた。そして僕も彼らにすがることができた。
この頃は薬を飲んでも自分を保てていたことも、当時のメンバーのおかげだと思っている。
当時の僕にとってバンドは楽しいもの違いないのに、僕と圭が語り合う時は心の底の暗い話になった。きっと僕も圭も、ネクラなのだと思う。
お互い音楽的には絶対の信賴を置いているから、良いものができて当然だと思っている。
圭のことは年下だと意識したことはない。性格や感覚的には似ているところがほとんどだが、本当に尊敬できる人間だ。音楽的にもそう。人間的にもそう。圭がいたから僕も成長できた。
このことは何度か二人でも話したが、例えば自分に奥さんができたとして、圭はそれ以上の存在だと思っている。だから、どちらかの調子が悪ければ片方の実力も出せないし、どちらかの生活が崩れれば片方の生活も破綻する。
なんでも遠慮なく言うため、当然喧嘩もよくするが、二人が喋らなければ他のメンバー誰も喋れなくなる。これは今までのどのバンドでもそうだった。
圭はそれ程圭にとって、絶対の存在。
僕の人生の相方は、圭なんだ。
だからこそ、僕が自分の病気を自覚した時、圭にだけはそんな自分の姿を見せてはいけないと思った。
入院生活中、僕は事務所からの電話だけでなく、メンバーからの連絡も拒絶していた。特に圭には、薬でうまく喋れない僕の声を絶対に聞かせたくなかった。
だけど、「圭はきっと誰よりも僕の気持ちを理解してくれている」と思っていたから、僕は自分が思うままに連絡を断っていた。
圭もわがままだが、僕はもっとわがままかもしれない。
着信があっても折り返さないくせに、着信があないと寂しく感じた。
入院直前、僕は圭に自分の正直な気持ちを伝えた。
「俺のせいで一年間もバンドを休むことになってごめん。でも信じて欲しい。バンドを、音楽を休みたいから休むんじゃない。音楽をやりたいから休むんだ。」
僕なりの決意表明でもあったし、それは二人の間の約束のようなものでもあった。
しかし、僕は薬漬けにより心が壊れ切ってしまった時、自分が何故バンドをやっているのかが、わからなくってしまった。
さらに、入院生活で心が弱り切ってしまった時、僕はメンバーに迷惑をかけていることばかりを気にしていた。二人だけでもkannivalismを続けていて欲しいという願いも、叶うことがなかった。
そして、自分でもなぜそういう答えを導き出したかわからないまま、圭に電話で伝えてしまったのだ。
「俺、もうバンド辞めるよ」と。
誰の前でも理想の自分を演じてきた僕だが、圭にだけは唯一安心感からか、時折弱みを見せた。
事実、僕は人前で涙を見せる人間ではなかったが、圭の間では何度も泣いてしまっている。
しかしそれはあくまでバンドは違う悩みだ。
ことバンドに対してだけは、そんな姿勢を見せたことなど一度もない。
僕は圭にとって理想のボーカリストでなければならないからだ。
その言葉を聞いてからの、圭の僕に対する不信感は拭いようがなくなった。きっと僕が壊れていくきっかけとなった事件の際、僕がメンバーに対して感じた「裏切られた」という気持ちなどとは比ぺようもない衝撃だっただろう。
「怜、もうオマエのことは信用できないよ」
はっきり言われた。
そして、僕から連絡しても、もう圭は電話を取ってくれなくなっていた。
一度薬を断って以来、回復が如実だった僕は、それから一ヶ月と経たない間に仮退院することになった。退院日も五月一四日と決まった。
これでまた音楽ができる。
ステージに戻れる。
そんな僕だが、圭のことを考えると外の世界に対する不安や恐怖が押し寄せてきた。
僕は圭とのやりとりを思い出した。
薬を断って二週間。
色々な記憶が戻ってきたが、夢物語のような気もする。
僕は確かめるために圭に電話した。
待てど暮らせど、圭からの電話は来ない。
メールをしても返信がない。
再度メールをして、三日、四日と待ち続けた。
音沙汰なし。
僕はなんてことを言ってしまったんだ。
「俺、もうバンド辞めるよ」
薬でぼんやりした頭で、僕なりに圭や裕地のことを考えて出した結論だった。
誤解だと言いたかったが、これはやっぱり「逃げ」だと思われても仕方がない。
だけど、圭はたった一度だけ僕が音楽に対して見せた弱音を許してくれることはなかった。
「もうオマエのことは信用できない」
圭がいなければ僕の音楽はあり得ない。僕の人生は紡げない。
圭にこと、そして裕地のことを考え、いてもたってもいられなくなり、また薬に手が伸びた。
それは昔からもっとも圭が嫌っていることだとわかっていたのに。
「圭」
僕がまだ高校二年生の時だった。
クラプチッタであった大きなイベントで僕は当時まだ中学三年生だった圭を紹介され、それから僕らはまるで同い年の友達のように一緒に遊びようになった。毎日のように音楽を聴いたり、テレビを見て笑ったり、お互いの恋愛の話までしたり。音楽という共通の趣味が中心にあったことは間違いないが、本当に気が合う友達として大好きだったからだ。
そんな圭と一緒にバンドを組むことになるまでにそう時間は必要なかった。
「あるバンドのギターとボ-カルが抜けたから一緒に入ろうよ。俺、プロになりたいんだ」
僕は正直、この時からプロになりたかったと言えば嘘になる。
ただ、どうしても圭と一緒に音楽をやりたかったのだ。
だから即答した。
高校卒業まで後数ヶ月を残すだけにも関わらず学校も辞め、バンドをやると言い出した僕は親から勘当され、家から追い出された。だから僕は圭と一緒にバンドを始めると同時に、私生活も一緒に過ごすことになった。
バンドもそう。寝食もそう。それから何をやるにしても圭と一緒。
皮肉なことに、一時家族から見離された僕だったが、それにより圭という家族ができたようなものだ。
だけど、僕らも年月を重ね、お互いの時間を共有していくうちに友情という言葉だけでは現せない関係になった。
出会った頃の気持ちは忘れていないし、何もかわっていない。ただ、二人とも純粋に憧れていた音楽に触れて、少しずつ音楽業界への理想とギャップに揉まれてしまった。そのことで僕らはお互い、自分の性格と他人に対する気持ちが歪んでしまったのだと思う。
別に被害者面をする訳ではない。
僕らがこういう話をしていた頃がbaroque中期。ちょうと僕が睡眠薬や安定剤に手を出し始めた頃だった。
出会った頃はお互い明るくて、誰とでも仲良くなれる性格だったと思う。だけど僕は、この頃にはまず他人に対しては「拒絶」の姿勢を取るようになってしまっていた。
辛ければ薬を飲む。それでも効かなければアルコ-ルと一緒流し込む。
それでも心が安まらない時は女にすかった。周りを傷付け、全てを壊した。
それは当時のファンには見せなかった僕の中の醜い部分。そして何にも縛られない、メンバー以外は誰も信じない、他人なんて大嫌いだという感情が、表に出していた部分。当然事務所からも業界からも厄介者扱いされていたように思う。
何をしても許してくれた、そしてしんじてくれたメンバーがいたからこそ、心が汚れていく自分の姿から目を逸ららすことができた。そして僕も彼らにすがることができた。
この頃は薬を飲んでも自分を保てていたことも、当時のメンバーのおかげだと思っている。
当時の僕にとってバンドは楽しいもの違いないのに、僕と圭が語り合う時は心の底の暗い話になった。きっと僕も圭も、ネクラなのだと思う。
お互い音楽的には絶対の信賴を置いているから、良いものができて当然だと思っている。
圭のことは年下だと意識したことはない。性格や感覚的には似ているところがほとんどだが、本当に尊敬できる人間だ。音楽的にもそう。人間的にもそう。圭がいたから僕も成長できた。
このことは何度か二人でも話したが、例えば自分に奥さんができたとして、圭はそれ以上の存在だと思っている。だから、どちらかの調子が悪ければ片方の実力も出せないし、どちらかの生活が崩れれば片方の生活も破綻する。
なんでも遠慮なく言うため、当然喧嘩もよくするが、二人が喋らなければ他のメンバー誰も喋れなくなる。これは今までのどのバンドでもそうだった。
圭はそれ程圭にとって、絶対の存在。
僕の人生の相方は、圭なんだ。
だからこそ、僕が自分の病気を自覚した時、圭にだけはそんな自分の姿を見せてはいけないと思った。
入院生活中、僕は事務所からの電話だけでなく、メンバーからの連絡も拒絶していた。特に圭には、薬でうまく喋れない僕の声を絶対に聞かせたくなかった。
だけど、「圭はきっと誰よりも僕の気持ちを理解してくれている」と思っていたから、僕は自分が思うままに連絡を断っていた。
圭もわがままだが、僕はもっとわがままかもしれない。
着信があっても折り返さないくせに、着信があないと寂しく感じた。
入院直前、僕は圭に自分の正直な気持ちを伝えた。
「俺のせいで一年間もバンドを休むことになってごめん。でも信じて欲しい。バンドを、音楽を休みたいから休むんじゃない。音楽をやりたいから休むんだ。」
僕なりの決意表明でもあったし、それは二人の間の約束のようなものでもあった。
しかし、僕は薬漬けにより心が壊れ切ってしまった時、自分が何故バンドをやっているのかが、わからなくってしまった。
さらに、入院生活で心が弱り切ってしまった時、僕はメンバーに迷惑をかけていることばかりを気にしていた。二人だけでもkannivalismを続けていて欲しいという願いも、叶うことがなかった。
そして、自分でもなぜそういう答えを導き出したかわからないまま、圭に電話で伝えてしまったのだ。
「俺、もうバンド辞めるよ」と。
誰の前でも理想の自分を演じてきた僕だが、圭にだけは唯一安心感からか、時折弱みを見せた。
事実、僕は人前で涙を見せる人間ではなかったが、圭の間では何度も泣いてしまっている。
しかしそれはあくまでバンドは違う悩みだ。
ことバンドに対してだけは、そんな姿勢を見せたことなど一度もない。
僕は圭にとって理想のボーカリストでなければならないからだ。
その言葉を聞いてからの、圭の僕に対する不信感は拭いようがなくなった。きっと僕が壊れていくきっかけとなった事件の際、僕がメンバーに対して感じた「裏切られた」という気持ちなどとは比ぺようもない衝撃だっただろう。
「怜、もうオマエのことは信用できないよ」
はっきり言われた。
そして、僕から連絡しても、もう圭は電話を取ってくれなくなっていた。
一度薬を断って以来、回復が如実だった僕は、それから一ヶ月と経たない間に仮退院することになった。退院日も五月一四日と決まった。
これでまた音楽ができる。
ステージに戻れる。
そんな僕だが、圭のことを考えると外の世界に対する不安や恐怖が押し寄せてきた。
僕は圭とのやりとりを思い出した。
薬を断って二週間。
色々な記憶が戻ってきたが、夢物語のような気もする。
僕は確かめるために圭に電話した。
待てど暮らせど、圭からの電話は来ない。
メールをしても返信がない。
再度メールをして、三日、四日と待ち続けた。
音沙汰なし。
僕はなんてことを言ってしまったんだ。
「俺、もうバンド辞めるよ」
薬でぼんやりした頭で、僕なりに圭や裕地のことを考えて出した結論だった。
誤解だと言いたかったが、これはやっぱり「逃げ」だと思われても仕方がない。
だけど、圭はたった一度だけ僕が音楽に対して見せた弱音を許してくれることはなかった。
「もうオマエのことは信用できない」
圭がいなければ僕の音楽はあり得ない。僕の人生は紡げない。
圭にこと、そして裕地のことを考え、いてもたってもいられなくなり、また薬に手が伸びた。
それは昔からもっとも圭が嫌っていることだとわかっていたのに。
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